演劇ユニット「はひふのか」 俳優✖️女優✖️ミュージシャン、 独創的な舞台を生み出す3人の人間ドラマ
京都を拠点に活動している演劇ユニット「はひふのか」は、俳優・サウンドロゴクリエーターの原田博行さん、ともに「劇団そとばこまち」出身の女優・日詰千栄さんと、俳優・映画監督の福山俊朗さんによって2014年に結成された。代表作である場末のショーパブの楽屋を舞台にした3人芝居シリーズ『Moonlight Club』は、これまでに16回の公演を数える人気作品で、2021年には自主制作による映画も公開された。役者3人の個性が自由奔放に交錯する「はひふのか」は、演劇でも映画でも、笑いあり涙ありの人情味あふれる人間ドラマを作り出している。それぞれの演劇にかける思いと、これから演劇を志す若い人たちに伝えたいメッセージを聞いた。(3回連載の1回目)
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──2014年の結成から、今年で活動期間は9年目に入ります。当初から取り組んできた木屋町三条のライブハウス「モダンタイムス」での3人芝居シリーズ『Moonlight Club』のスピンオフ企画として映画版を制作されるなど、コロナ禍にあっても演劇ユニットとしての活動の幅をパワフルに広げ続けていらっしゃいます。まずは、「はひふのか」を結成された経緯を教えてください。
福山:2014年の2月に「はひふのか」としての第1回目の公演をしました。それが演劇ユニットとしての活動の始まりになります。
そもそもは、その前年まで僕が「マジックラジオ」という、トーク&ミュージックショーを銘打ったイベントを主催していたんです。僕がMCを務めて、ラジオの公開生放送さながらに、トークや音楽ライブ、ダンスを盛り込んだ企画です。その場のライブ感を重視した構成でさまざまなコンテンツを展開しました。
多い時には、年に2、3回のペースで、コンスタントに5、6年くらい続けたイベントでした。モダンタイムスや府民ホールアルティ、北山の京都コンサートホールを会場に、ライブハウスから大ホールまで、いろんなところでやりました。そこに原田さんにもミュージシャンとして出ていただいていたんです。後半の10回くらいは、ほぼレギュラーゲストのような感じで、曲を書いていただいたり、トークや演奏もしていただいたり…。原田さんもマジックラジオの中核を担う一人という感じでした。
──なるほど。福山さんと原田さんは「はひふのか」結成前から、一緒にステージで共演されていたんですね。
福山:その時に、今の「はひふのか」につながる、原形のようなものが出来上がった感じです。マジックラジオの本番前、楽屋で僕と原田さんが、まるでドラァグクイーンが鏡前でメイクをしながら言い合いをしている、というようなことをやっていたんです。その様子をスタッフさんが見て、「面白いね〜」と言って笑ってくれて。それで、マジックラジオの最後の回に、楽屋にカメラを設置して、2人のやりとりを本番前の前説みたいに生放送で会場に流したんです。それを見たお客さんが大ウケしてくれて。そこから「この形でお芝居やってみませんか」と僕が原田さんをお誘いしたのが、「はひふのか」の始まりですね。
──リアルな楽屋話のような掛け合いが、「はひふのか」の原点にあったのですね。
福山:それで「せっかくなんで、女性キャストも入れよう!」ということで、「劇団そとばこまち」時代の先輩、ひめさん(日詰さん)に頼んだんです。
ひめさんとは、マジックラジオのコンテンツの一つとして、2人芝居をしたことがあったんです。そんなご縁もあって、正式に役者3人と脚本家1人の計4人のチームとして演劇ユニット「はひふのか」が出来て、2014年2月に1回目の公演を行いました。
──福山さんと日詰さんとは、もともと「劇団そとばこまち」で、退団後もお互いの演劇やショーを見に行ったりと、親しくされていたのですね。
日詰:そうですね。私も、マジックラジオはお客さんとしてよく見に行っていて、会場に流された2人の楽屋でのやりとりも見ていました。それ以前から、原田くんとも知り合いだったので、「みんなで遊んでいるんだったら、ちゃんとお芝居でも作ろか〜」と思ったのが「はひふのか」の始まりだった気がします。
原田:僕にとってひめさんは、「ものすごい女優が同年代にいる」と、知人からよく聞いていた人でした。当時、僕のライブの中で、ミュージシャンじゃない人をゲストに呼ぶというものがあり、女優さんに来てもらって一緒に舞台を作る企画がありました。それで、ひめさんに出演をお願いしたんです。
(【vol.2】に続く)
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演劇ユニット「はひふのか」
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