インタビュー特集

演劇が持つ力、その可能性を信じて。「劇団FAX」が目指す、新たな地平【vol.2】

自らが立ち上げた「劇団FAX」代表として、京都や東京で公演活動を行っている玉井秀和さん。京都大学に入学したことを機に、大学公認サークル「劇団ケッペキ」で演劇活動を始めた玉井さんは、2016年に「劇団FAX」を旗揚げした。以後、自身で脚本、演出を手掛ける作品も含め、年間4~6本公演をプロデュースする傍ら、フリーランスの舞台監督としても活動している。「演劇には、人を集めて、みんなと共通する部分を感覚的に共有できる力がある。そこに、何かを生みだす可能性を感じています」。演劇の本質を問い、人とのつながりを作ることを楽しみ続ける玉井さんに、演劇にかける思いを聞いた。【2回連載の2回目】
(前回の記事→演劇が持つ力、その可能性を信じて。「劇団FAX」が目指す、新たな地平【vol.1】

──今年4月の『春の大感謝祭』は、劇団FAX、ヨルノサンポ団、共通舞台の3団体で、計5つの演劇と幕間にはユニークなコーナーを開催されました。玉井さんがアフリカのボツワナに滞在し、現地で体験したことをスライド背景と共にコミカルに再現した『ボツワナ』をはじめ、どれもがオリジナリティを感じる素晴らしい作品でした。

玉井:ありがとうございます。『春の大感謝祭』は2日間の日程で、作品1本の時間は30分から60分、お客さんの出入りは自由という形式で開催しました。今回僕が考えたのはイベントとしての枠組みだけ。幕間の出し物などについては、ほとんどみんなに任せました。
劇団FAXの『ボツワナ』に関して言えば、現地の人と一緒に豚を屠殺して食べるシーンをはじめ、実体験をベースにしたものだったので、「ちゃんと伝わるかな」という不安もありました。でも、コミカルさを加えたおかげで、逆にボツワナの文化の興味深いところ、本質的な部分を伝えることができたと思います。
僕は、演劇に関する能力はあまり大したことはないですが、総合的な能力ではバランスが良くて、性格が「丸い」タイプの人間だと思っています。そのおかげもあるのか、僕らの代の劇団ケッペキは、上の代とも下の代とも仲が良くて、先輩からも後輩からも良くしてもらっています。
突出した能力のある役者をはじめ、尖った人間を集めるためには、「丸い」人間が必要ですから、そこは自分の強みだと思っています。これからも尖った人間たちに集まってほしいし、そういう演劇を作っていきたいですね。

──演劇を通してみんなが集まり、何か楽しいことを一緒にする。玉井さんにとって、それが演劇を続ける目的でもある、と言えるかもしれませんね。

玉井:「人が集まること」は、間違いなく演劇が持つ強みのひとつだと思います。その意味で、今後は劇団や集団というものを、舞台を見ているお客さんにまで広げていきたいと考えています。
構想しているのは、まず最初に、お客さんも含めたコミュニティを作って、一緒にひとつの企画を作り上げていく、というイメージです。

撮影:北川啓太

──コミュニケーションのかたちや、人と人との関係性を、演劇を通して再構築するような試みですね。とても興味深いです。

玉井:僕は、演劇には2つの力があると考えています。1つは、先ほども言ったような「人が集まり、みんなと共通する部分を認識する」という力です。同じ舞台を見る経験を通し、「この人たちとは、こういう部分で分かり合えている」ということが再認識できる。演劇には、言語を介さずに感覚的に共有できる力があると思っています。
もう1つの力は、自分とは異なる考え方や感覚を持っている人たちがいる、「分かり合えなさ」ということを知る力です。そこから、「お互いに分かり合うことはないけれど、あなたの言うことは理解できるよ」という、他者理解につながる力が育まれていく。この2つの演劇の力のうち、僕は前者である「共通の認識」を生み出す演劇をやりたいと思っています。
価値観やライフスタイルが多様化した今、現代人はすでに、個々に違っています。だからこそ、せめて同じところを見つけたいんです。僕自身はそもそもがウエットな人間というか、そういう思いがずっとあるから、ボーイ・ミーツ・ガールな脚本ばかり書いているんだと思います(笑)。でも、演劇が持っている「共通の認識」には何かを生み出す可能性があると感じています。

撮影:吉田香月

──演劇の本質を自分なりに考え、試行錯誤を続けているからこそ、新しい可能性が見えているのだと感じました。これからの作品がますます楽しみです。

玉井:ただ、「共通の認識」は、必ずしも演劇である必要はないのではないか、と悩むこともあります。
演劇が言語を用いた表現である以上、その言語表現にとらわれていないか、自分が試みたいと考えていることと本当に合致しているのかどうか、ずっと疑問なんですよ。言語化することによって、どうしても色々な物事を無闇に論理立てて考えてしまうというか。
最近の傾向として、物語の伏線を回収することが、流行っていますよね。「ここにはこういう裏の意味があって─」という理解の仕方をお客さんにされてしまうと、それは言葉で理解しているだけであって、本当に伝えたい感覚的な部分が共有できているわけではないのではないか……という葛藤があります。言葉というものが、僕の作品にとって邪魔なんじゃないかとさえ、最近ちょっと考えています。
言い換えるなら、自分が上手く言葉を使えていないということに悩んでいるのかもしれません。どうしても言葉で脚本を書くと、論理的に考えてしまう部分がある。論理的な思考から、どういう風に脱却していけるか。今はそこを考えながら、色々な作品を書いています。


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